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京都・滋賀

「河井寛次郎記念館」昭和の名陶工が暮らした登り窯のある住まい

投稿日:2018-02-20 更新日:

Hamzo
東山五条!

みんな大好き“清水寺”
親鸞のお墓がある“大谷本廟”
牛若丸と弁慶が出会った“五条大橋”

京都の東山五条界隈は、歴史的な名所も多いエリア。また、清水坂へと繋がる五条坂は、清水焼発祥の地で、陶器のまちとしてもよく知られています。

交通量の多い五条通りから細い路地に一本入ると、京都らしい民家が建ち並ぶ静かな住宅街の景色へと変わります。

しばらく歩を進めると、黒塗りの格子に掛けられた扁額がなければ気付かずに通り過ぎてしまいそうなぐらい、町並みに馴染んだ一軒の京町家風外観の建物が見えてきます。

河井寛次郎記念館

版画家“棟方志功”の書を、木工家“黒田辰秋”が彫って寄贈した「河井寛次郎記念館」の扁額が目印

河井寛次郎について

河井寬次郎は大正から昭和にかけて京都を拠点に活躍した名陶工。陶芸だけではなく、木彫や書、詩や随筆などでも優れた作品を残しています。

また、同時代に生きた、思想家の柳宗悦、陶芸家の浜田庄司と共におこした「民藝運動」の中心人物としても知られています。

民藝運動は、1926(大正15)年に柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らによって提唱された生活文化運動です。当時の工芸界は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流でした。そんな中、柳たちは、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝(民衆的工芸)」と名付け、美術品に負けない美しさがあると唱え、美は生活の中にあると語りました。そして、各地の風土から生まれ、生活に根ざした民藝には、用に則した「健全な美」が宿っていると、新しい「美の見方」や「美の価値観」を提示したのです。工業化が進み、大量生産の製品が少しずつ生活に浸透してきた時代の流れも関係しています。失われて行く日本各地の「手仕事」の文化を案じ、近代化=西洋化といった安易な流れに警鐘を鳴らしました。物質的な豊かさだけでなく、より良い生活とは何かを民藝運動を通して追求したのです。

引用:日本民藝協会

暮らしを感じる︎記念館

郷里の島根から贈られた“丸石”がある中庭

記念館は、河井寬次郎が生前に住んだ住居兼工房を公開したもの。 築年は1937年(昭和12年)。河井寛次郎自らが、故郷の出雲と飛騨高山の民家や朝鮮の農家を参考にして設計を行い、兄善右衛門が棟梁となり、郷里の島根県の大工、左官工、建具師などを引き連れて来京し、八ヶ月かけて建てられました。

大黒柱と梁のみ京都で買い求め、他の材料は全て島根県から持ってきたという。すごい郷土愛とこだわりですね。家具や調度類も寛次郎のデザインで、生前の生活の雰囲気をそのまま伝えるかのような空間になっています。

寛次郎の作品も数々展示されていますが、いかにも「展示してる」という感じではなく、整ったデザインの和風家屋にさり気なく溶け込んでいるのがとても印象的です。

作品には制作年や名前の説明などがついていないものの方が多く、よくあるような「家具などに手を触れてはいけない」的な表示もほとんどありません。

近代工芸界に大きな影響を与えた、河井寛次郎の美術品としての作品を鑑賞するという堅苦しい場所ではなく、“暮しが仕事、仕事が暮し”という言葉を残した河井寛次郎の、まさに暮らしの息づかいが感じられる、ご本人の意思を引き継いだ素晴らしい記念館だと思います。

古建築好きの建築屋の僕にとって、こちらはとても居心地のよい空間で、ゆっくり見学と撮影をさせて貰いました。なかでも印象に残ったところをいくつかご紹介します。

囲炉裏のある広間

囲炉裏のある板の間は、二階とお庭、離れや作業場を行き来する廊下と繋がっています。

床材は“朝鮮張り”という、朝鮮半島の古い民家や寺院などに見られる張り方で施工されており、見上げると吹き抜けになっていて、滑車と縄がぶら下がっています。

この滑車は家の建築時に資材の搬入用に取り付けられたものを、そのまま残して貰ったそうです。京都の町家で囲炉裏があるのも珍しく、設計の参考にしたのが飛騨高山の民家だった影響なのでしょうか?

囲炉裏に向かう様に置かれた、重厚感のある丸い椅子は、餅つきの臼(うす)を加工して作ったもの。二階にも臼を逆さにした丸テーブルがありました。

そういえば、丸っこくってコロンとしたフォルムの家具や木工、作品が多かった様な気がします。ほっこりとした居心地の良さを覚えたのは、それらも込みで受けた印象なのかな。

大黒柱の振り子け時計は、柳宗悦からの贈り物

離れの間

素焼釜、陶房へと向かう手前に、中庭に面して2畳ほどの小さな部屋があります。配置図には茶室の表記がありますが、茶室の設えははなく、なんとなく不思議な佇まいの部屋。

引き分け障子の向こうには、中庭の木々の緑が冬の柔らかい陽射しにあたってキラキラと光っています。たぶん、創作に想いを巡らせるときや、頭の中をクリアーにするとき、ひょっとしたら中庭を眺めながら一杯お酒を呑んで、ごろんと昼寝するのも気持ちいい。そんな多目的な用途に使うために作った部屋なんじゃないかな。なんて思いました。

登り釜

敷地の一番奥には大きな登り釜があります。洛外とはいえ京都の街中に、登り釜があるのには驚きました。さすがに規制によって昭和46年以降は使われていないようですが、さっきまで使ってたんじゃね?って思うぐらいきっちりと保存展示されています。

この釜は何軒かで使用する共同釜で、河井寛次郎は高温度で焼成のできる下から二つ目の室を使っていたそうです。現在も釜の傍に積まれている薪は、家の横の路地から住居を通らなくても搬入できる様になっています。

陶房には“けろくろ”が置かれてて、作陶当時の作業空間がそのまま再現されてます。傍には、窯変をテストしたであろう“試験用の陶片”が並べてあったり、作品のスケッチがあったり。

まとめ

河井寛次郎記念館は、知る人ぞ知る京都の名所と言われていますが、外国人観光客の方も訪れるようで、頂いたリーフには “KAWAI KANJIRO’S HOUSE” と書かれてました。

むしろ記念館という表現より、英訳の “河井寛次郎さんのおうち” というニュアンスの方がしっくる、昭和の名陶工の暮らしミュージアム。「河井さんちでなんかええもんを見せて貰ったなぁー」という、とても後味のいい時間でした。

「昭和の名陶工のデザインが生きる京都生活の遺産」とも言える素晴らしい建物が、住宅街にさり気なく残るまち。改めて、京都と云うまちの懐の深さを感じた一日でございました。

では、また!

今回行った場所

河井寛次郎記念館 公式ホームページ

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