京都島原「きんせ旅館」
全国1億2千万の泰山タイルファンの皆様こんにちは。“泰山タイルソムリエ” のS.Lです。
いや、あのですね・・・
わたくし、スゲー発見したかも。。
この感動を誰に伝えたらいいか分かんないので、とりあえず記事にしてみました。
まず、泰山タイルを知らなーいっ!という、ふとどき者は直ちにブラウザを閉じるか、こちらの記事を読んでから戻って来て頂戴。
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嗚呼、麗しの「泰山タイル」を探して近代建築を巡る
「泰山タイル」なるモノをご存知でこのページを開いて頂いた方は ...
泰山タイル とは “池田泰山” 率いる京都の泰山製陶所が、大正から昭和初期にかけて世に送り出した唯一無二の名建材のこと。
一時代に名を馳せた往時の名建築家たちが、泰山タイルの類い稀なる意匠性に惹かれ、こぞって各々の建築に取り入れます。しかし、現存する近代建築のディテール部分に関しては、戦争などの影響もあり、建築当時の資料などが残っている事も殆どない様で、人伝えで「どうやら◯◯の様です」と言った様なニュアンスが非常に多いんですよね。
近代モダン建築を見学して、その空気感や歴史に触れる事と、それらを「写真」に収めて記録する事が僕の趣味なのですが、シャッターを切っている時には気付かなくても、家に帰ってPC等の液晶画面で一日の撮れ高を確認している時に「おやっ?」と、思う事がたまにあるんです。
「ん、このディテール どこかで見た事あるな」という、デジャヴ的な感覚。
そして、いくつかの点と点が線で繋がり、デジャヴ的な感覚が確信めいたので筆を執ることにしました。あくまで、泰山タイルファン、そして近代建築ファン、一個人の推論という事を前提に最後までお付き合い頂ければ幸いです。
昭和初期の大ブーム “スクラッチタイル”
スクラッチ とは “引っ掻く” いう意味で、スクラッチタイルとは、タイル表面に櫛で引っ掻いた様な模様を持ったタイルのこと。
「神戸市立御影公会堂」1933年(昭和8年)竣工
タイルの焼成前に道具を使って櫛目を入れ、何本もの深い溝がタイル表面に入っているのがその特徴。スクラッチタイルは大正末期から昭和10年頃前後に大ブームになったもので、近代建築の外部意匠に多く使用されています。
ちょうど、この時期は泰山製陶所の最盛期にもあたるのですが、泰山タイルの代名詞と言えば、やはり 布目タイル や 窯変タイル 。
池田泰山は時代の流行に流されずに、スクラッチタイルなどは作らなかったんだろぉーな、なんて、漠然と思っていたし、そもそも、スクラッチタイルは素焼きが多いので、池田泰山の製作ポリシーに合わなかったのかな?と・・・
また、当時の機械生産によるタイルの需要の高まりから、伊奈製陶(現LIXIL社の前身)や大阪窯業、伊賀窯業などの会社が、大正期より本格的な生産体制に取り組む様になります。
そんな時代背景のなか、池田泰山は大量生産のそれとは異なる路線を歩み、工業製品としてのタイルではなく 美術工芸品 としての側面から自らの活路を見出します。
彼の作品の多くは、大阪綿業会館のタペストリータイルに代表される作品の様に、アクセント的に小ロットで納められている事が多く、 大量生産を必要とされる単調な外装タイルに用いられている建築はない と思っていた。
泰山製陶所によるスクラッチタイル!?
上の3枚のタイル写真。
全て異なる近代建築の外装ディテールを切り取った写真なんですが、非常に良く似ていると思いませんか?
ここで、僕は “ひとつの仮説” を立ててみた。
この 3つの建築に使用されているスクラッチタイルは全て、泰山製陶所で作陶された「泰山タイル」もしくは、池田泰山が深く関わって製作されたものであるという説 です。
さて、これらのタイルが施された近代建築とは ?
3つの建築を飾るスクラッチタイル
西洋建築の父 “ヴォーリズ” による壮大なミッションスクール
日本における近代洋風建築の巨匠 “ウィリアム・メレル・ヴォーリズ” 設計による「神戸女学院大学」は、西宮市岡田山に建つスパニッシュスタイルの優美なミッションスクールで、淡いクリーム色の外壁とスクラッチタイル、赤銅色の瓦が特徴的。
W・M ヴォーリズ設計による神戸女学院の校舎群は、彼の代表的な建築のひとつで、現在も現役校舎として使用されている12棟のヴォーリズ設計の建築物が国の重要文化財にも指定されています。
神戸女学院大学 (講堂)
ヴォーリズも泰山タイルの魅力に触れた建築家のひとりで、自らの建築によく用いています。 商業施設やオフィスビル、教会や学校など、多くの建築を手掛けたヴォーリズですが、泰山タイルを使用している事で知られているのは、下村正太郎氏邸(現 大丸ビィラ)や、六甲山荘(旧小寺敬一氏別荘)、滋賀の岡家住宅や旧伊庭家住宅などの個人住宅が多い印象。
神戸女学院大学にも泰山タイルが納められている事は知っていましたが、主には校舎の開口部まわりに市松貼りで施された布目タイルや、屋内の一部のみと思っていました。
神戸女学院大学 (開口部の布目タイル)
ところが、僕が神戸女学院大学に見学に伺った時、「泰山タイルはどこに使われていますか?」と係の方に質問したら、校舎の外壁に使われている “スクラッチタイル” がそうと聞いております。と、仰る。
神戸女学院大学には複数棟の校舎があり、文学館や理学館、図書館に講堂など、低層とはいえ、殆どの建物の外壁の大面積にスクラッチタイルが施工されている。
神戸女学院大学 (外装タイル)
「いやいや、これほど大量の外装タイルに泰山タイルが使われることはないっしょ!? ましてや、泰山のスクラッチなんて聞いたことないし ! 」
なんて、とらえていましたが、どうやらここのスクラッチタイルが泰山タイルであるという記事をちらほら見かける様になり、半信半疑ながらも、そう言われれば独特の窯変による焼きムラや味わいはなんとなく泰山のそれと同じかも? なんて思ったりもする。
うーん、真実はいかに?
劇場建築の名手 “木村得三郎” による芸妓・舞妓のための大建築
京都 先斗町(ぽんとちょう)は、鴨川の西岸に沿って三条通一筋下ルから四条通までを南北に走る、細長く狭い、いかにも京都っぽい通り。 江戸時代末期の文化文政の頃から河原に席を設ける酒亭が増えて、対岸の祇園や島原に対抗する一大花街を形成したといいます。
歌舞練場とは花街で働く芸妓や舞妓が、歌や踊りを練習する場であり、その成果を発表する華やかな舞台。
昭和初期に当時の巨費を投じて建てられた「先斗町歌舞練場」は、東京の歌舞伎座や日劇、大阪の松竹座など、数多くの著名な劇場建築を多く手掛けた大林組の技師 “木村 得三郎” の設計による大建築です。
内外部の要所に多種多様なタイルが使用されているのですが、この建物にも泰山タイルが納められている事はよく知られています。 先斗町通り側の外壁腰部には、装飾タイルが “なまこ壁” の様にデザインされていて、いかにも日本風と言った趣きで面白い。黄褐色の無地タイルの表面には布目が付いていて、泰山タイルのそれと同じ風合いを感じる。
先斗町歌舞練場 (外装タイル)
外壁の大部分がスクラッチタイルで装われているのですが、スクラッチ模様にヘッドカット( 乾く寸前にコテやローラーで押さえて凸部を押える )処理が均等に施されているのが特徴的。
これって、引っ掻いてから “押さえる” という意図的な製造過程の工程がひとつ増える訳なので、大量生産する際には結構面倒くさい事だと思うんですよね。この時代は手作業だろうし。
或いは、タイルの造形美に情熱を注いだ池田泰山なら、他のタイルとのバランスを考えて、あえてそうしたのかもしれない。
さて、真実はいかに?
京の旧色街に佇む “カフェー建築” 様式のとある民家
「五条楽園」 とは五条大橋の南方、鴨川と高瀬川沿いに広がる旧花街。現在は下町風情の静かな町ですが、つい近年まで、現役の色街として栄えていました。
五条楽園には大正から昭和初期に建築された、独特な唐破風屋根が映える「遊郭建築」と共に、丸窓やモザイクタイルなどを配したモダンな外観意匠を持つ “カフェー建築” が幾つか残っています。
カフェー建築の意匠を色濃く持ったこちらの建物については、築年、作者、共に不明。現在も人が住まれているので、場所は五条楽園内とだけにさせていただきます。
五条楽園の家 (外装タイル)
本題は、外壁に施されたスクラッチタイルが 先斗町歌舞練場のタイルと酷似しているという事。スクラッチ模様がタイルの長手方向ではなく短手方向に入っている以外は、風合いや色目、表面のヘッドカット処理まで同じです。
泰山タイルは、東京国立博物館や京都市美術館、大阪綿業会館などの歴史的名建築に作品が納められている一方で、喫茶店やバー、銭湯などの超庶民的な商店や一般家屋に至るまで、建築用途に分け隔てなく納められているのが大きな魅力のひとつ。
皇族のアールデコの館、“朝香宮邸(現東京都庭園美術館)” と 京街道の旧花街、橋本遊郭にある “多津美旅館” に同じタイルが使用されているのは、いかにも泰山タイルらしいと言ったところ。旧花街 島原の “きんせ旅館” にも、ふんだんに泰山タイルが使われています。
(左) 四条河原町「築地」 (右) 島原「きんせ旅館」
何より、時の花街が持っていたであろう艶っぽいまちの雰囲気と、泰山タイルの妖艶な装飾美は意外に合っていたんだと思う。また、五条楽園内には任天堂の旧本社ビルがあり、ファサードの一部には泰山タイルが施されています。
それ以外にも、五条楽園には よーく見ると「これって泰山の布目じゃね?」って言う様なタイルが、古い民家のファサードに何気なく貼ってあったりもする。
「五条楽園」山内任天堂旧本社の泰山タイル
巨費を投じて造られた “先斗町歌舞練場” のスクラッチタイルが泰山タイルだったとするならば、花街のカフェー建築にも、分け隔てなく “同じタイル” を卸すという、池田泰山の製作スタンスも理解できるんですよね。
神戸女学院大学 と 先斗町歌舞練場 2つの建築に共通するのは、 「泰山タイルが建築のどこかに使用されている」 という事実は間違いないこと。
そして「五条楽園」は京都で近年まで栄えた一大花街であり、池田泰山は花街にも目もくらむ様なタイル空間をつくりあげる、といった小気味良い仕事も多く手掛けている事から、五条楽園に現存するタイルが 泰山タイルであったとしても、なんら違和感は無いと言えます。
2人の名建築家の意外な共通点
奇遇なる程よい距離感?
神戸女学院大学の設計者 “W・M ヴォーリズ” そして、先斗町歌舞練場の設計者 “木村徳三郎” には、 奇遇なる接点 がいくつかあります。
鴨川に沿って威風堂々と建つ 先斗町歌舞練場を南に少し下ると、独特の世界観を持った建物が、四条大橋の傍から鴨川を見下ろす様に建っています。
京都市内ど真ん中の北京料理店 “東華菜館” は W・M ヴォーリズ の設計による建築で、ヴォーリズが生涯で唯一設計したレストラン建築としても知られています。
スパニッシュの中でもスペインバロックと呼ばれる過剰な装飾を特徴とする様式の建築で、ファサードには 羊の頭、魚やホタテ貝など海の幸や山の幸にちなんだテラコッタ装飾が、こってりと施されているのが印象的。
四条大橋西詰「東華菜館」
ちなみに、先斗町歌舞練場、東華菜館、両建築共に施工は “大林組” が請け負っています。
そして京都の他にも、ヴォーリズと木村得三郎の建築が近距離間に存在する街がもうひとつあります。
近代建築の宝庫 “大阪” です。
大大阪時代と2人の代表作
大阪ミナミの繁華街 “道頓堀” 。御堂筋寄りに建つ “大阪松竹座” は、劇場建築の名手と言われた 木村得三郎の代表的な建築 。テラコッタを使用したネオルネッサンス様式の正面大玄関の特徴あるアーチを持つ建築は、イタリア・ミラノのスカラ座をモデルにして設計された大阪初の洋式劇場です。
東京劇場や日本劇場、歌舞伎座などの 木村得三郎が設計に携わった建築のほとんどが、建替えられて現存しないなか、大阪松竹座も1997年に建て替えられていますが、※ 「ファサード保存」によって、大正期の木村得三郎 設計の外観がそのまま残されています。 ※ファサード保存・・・歴史的建造物の外観をそのまま残して、内部のみ新築もしくは改築し保存する工法。
そして、奇しくも、大阪松竹座から少しだけ離れた場所で、松竹座と同じファサード保存を用いて建替え工事が行われた 大正・昭和の大建築 があります。 近代建築好きなら既にお気づきの方も多いでしょう。
大正末期から昭和のはじめにかけて、大阪が東京を凌ぐ経済と文化を誇った「大大阪時代」。古くから大阪随一の繁華街として栄えていた心斎橋にゴシック様式の大建築が、 W・M・ヴォーリズの設計 によって建てられます。
20世紀消費社会の到来を告げた “大丸心斎橋店本館” は、昭和初期の典型的な百貨店の姿をよく伝えるヴォーリズの代表作であり、日本を代表するネオ・ゴシック様式に基づくアールデコ建築と言えます。
耐震性などの問題により惜しまれながら建替えとなりますが、内外装のヴォーリズオリジナル意匠を残した改修が施され、2019年9月にリニューアルオープンしました。
「木村得三郎 と W・M ヴォーリズ」時を同じくして建てられている京都と大阪の名建築。 「先斗町歌舞練場 と 東華菜館」 「大阪松竹座 と 大丸心斎橋店」その奇妙な巡り合わせは、微妙な距離感にも現れています。
京都と大阪、両建築共に都会のど真ん中を南北を貫く幹線である 鴨川 と 御堂筋 の傍に建ち、両建築の距離感においては、京都、大阪 共に550m。
この、偶然にしては出来過ぎている巡り合わせに、当時の当人たちが気づかない訳は無いと思うんですよね。必然的に互いの建築に対しての興味が湧いて、何らかの交流があってもおかしくないと思うのです。
スクラッチタイルブームの火付け役 “旧帝国ホテル” の存在
スクラッチタイルの歴史を語るうえで忘れてはいけないのが、世界的な大建築家 フランク・ロイド・ライト 設計による “旧帝国ホテル” の存在。
旧帝国ホテル 本館
ライトの建築における材料と色へのこだわりは異常なまでに強く、旧帝国ホテルの外観のスクラッチ煉瓦の製造の為に、専用の「帝国ホテル煉瓦 製作所」まで設立するほど。
1923年(大正12年)の帝国ホテル新館落成式の準備中に、関東大震災に襲われますが、周辺の多くの建物が倒壊した中でライトの帝国ホテルがほとんど無傷だったというのは有名な話。
これは、ライトがスクラッチ模様を意匠としたすだれ煉瓦を、煉瓦積みの “構造材” としてで はなく鉄筋コンクリート構造の “表面装飾材” として用いた為であり、その後に大流行となった スクラッチタイルブームの火付け役 になったとも言われています。
神戸女学院大学や先斗町歌舞練場にスクラッチタイルが取り入れられたのも、旧帝国ホテル竣工後の話で、それぞれの建築にライトの旧帝国ホテルが少なからず影響を与えたのは言うまでもありません。
それぞれの建築年表
先述した其々の建築を築年順に時系列で並べてみました。
大丸心斎橋店 Ⅰ 期 | 1922年(大正11年) | ヴォーリズ |
大阪松竹座 | 1923年(大正12年) | 木村得三郎 |
旧帝国ホテル | 1923年(大正12年) | F・L ライト |
大丸心斎橋店 Ⅱ 期 | 1925年(大正14年) | ヴォーリズ |
東華菜館 | 1926年(昭和元年) | ヴォーリズ |
先斗町歌舞練場 | 1927年(昭和2年) | 木村得三郎 |
神戸女学院大学 | 1933年(昭和8年) | ヴォーリズ |
並べてみると凄いですね。これらの有名建築が ほぼ時を同じくして建てられているんですね。
大阪の “心斎橋大丸と松竹座“ 、京都の “東華菜館と先斗町歌舞練場” に至っては、同じ時期に建築工事をしていたんじゃないかな?
巨匠たちの妄想トーク
さて・・・
ここからは僕の勝手な想像ですが、ヴォーリズと木村得三郎との間で、こんな会話のやりとりがあったのでは? なんて妄想をしてみました。あくまで妄想 ですよ ! もーそー。
ちなみに、木村得三郎 が1890年生まれで、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが1880年生まれなので、歳はヴォーリズが10歳年上。
フランクロイドライトはヴォーリズより13歳も年上なので世代が少し違いますね。 当記事の主役である 池田泰山は1891年生まれなので、木村のいっこ下で、このなかでは一番年下っていう構図ですね。
大阪心斎橋大丸の現場にて…(木村徳三郎32歳・ヴォーリズ42歳)
四年後、京都 東華菜館の現場にて・・・(木村徳三郎36歳・ヴォーリズ46歳)
一年後、京都 先斗町歌舞練場の完成現場にて・・・(木村徳三郎37歳・ヴォーリズ47歳)
To be continued ・・・
マニアックな妄想に最後までお付き合い頂き、有難うございます。 でも、こんな感じのやりとりがあっても、不思議じゃないと思いません?
いや、ちょっと無理があるかな・・(笑)
高瀬川で繋がる近代建築と泰山製陶所
高瀬川 とは、京都ゆかりの河川 “鴨川” に寄り添う様にして流れる情緒ある静かな川。
京都「高瀬川」
2人の建築家の奇妙な繋がりもそうですが、彼らの建築と泰山タイルも “高瀬川” で繋がっています。
三条大橋の少し南に 先斗町歌舞練場があり、四条まで下れば 東華菜館が見えてくる。高瀬川沿いにそのまま歩を進めると、旧花街の 五条楽園 が広がり、七条を過ぎて九条まで行くと、そこは泰山タイルの創業の地。
装飾タイルのレジェンドと呼ばれるに相応しい “池田泰山” 。しかし、彼や泰山製作所に関しての文献や資料が非常に少ない。
昭和初期には東山馬町へ、また後に瀬戸へ移転したとの記録もあるので、どのくらいの間、創業地である東九条に製陶所があったかは不明ですが、東九条の高瀬から鴨川あたりに、はじめての製陶所を構えた事にはどうやら間違いない。
大量生産が必要とされる外装スクラッチタイルが “泰山プロデュース” で製作されたのか? 全く推測の域を出ない話だが、ひょっとしたら?という期待でワクワクもする。でも、その謎めいた部分が逆にタイルファンの心を魅了してやまないのかもしれない。
池田 泰山 (1891年 ー 1950年)
泰山モザイク、タイル、の創始は大正六年代で、硝子モザイクの美しい窓が西欧の建築に応用されて、教会建築には欠く事の出来ない存在となったが、陶器片でモザイク、タイル作り、室内装飾から船室装飾等に使われ、我国建築界に泰山タイルの名をほしいまゝにしたのは池田泰山の創意と努力の結晶である。
泰山は市立陶磁器試験場附属伝習場に学び、独立して梅原政次郎等と共同で加茂川べり九条辺に開宣したが、其の後、独立して建築業界と提携、盛に美術工芸タイルを製出した。泰山は其の後、病に侵されながらも部下を指揮して、その名声を落さず、京焼業界の一異彩として輝かしい存在であったが、病衰えず、将来を期待され乍ら遂にたゝず倒れたのは残念だった。
泰山は愛知県知多郡半の生まれである。
引用 : 京焼百年の歩み
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